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一晩しか挟まずにすぐ翌日に開かれるようになったのはマリアの計らいであった。有職故実に縛られていくつもの儀式を執り行なううちに、空位(王がいないこと)が長く続けば政治の空白ができて世が乱れるであろうと恐れての事である。
ところが、このたった一晩の間隙を衝いてこの王国に危機を与えようと企んだ者がある。それが魔王フォン・ロットバルトである。
この男は『銀の森』の主だが、それは普通の領主が領地を持つというのとは全く様子が異なる。彼は自ら富や力を作り出すことは決してできないが、その代わりに魔術―根城である『銀の森』に象徴されるような黒魔術の体系―を以てこれを手にする。つまり富と力とか集う処へ赴いてはそれを巧みに自分のものにする。だから、豊かに肥えた土地に、聡明な君主の下で、心掛けのよい民が育って、そして富と力が宿る様な国はロットバルトの標的である。
公女オデットもそのようにして国を奪われた末にさらわれて来た姫君。オデットの父アンドレイ公はロシア皇帝帝に伺候するスラヴ騎士、あるときは命を受けてタタール族の軍勢から帝国を守るべく南端の地に遣わされた。才色兼備で知られた妻レオナと幼いひとり娘オデット公女も、兵士や入植者に交じってこの僻地に下って来た。
勇猛果敢なアンドレイ公の重隊を前にしてタタールはやがて恐れをなし、長らく戦が途絶えた。十数年が経つと開拓と植民も進み、この公国は広いロシア帝国の中でも指折りの豊かな国となった。オデットも大変美しく育った。母レオナ譲りの容姿は勿論、熱心な教育の成果も目を見張るばかりであり、領民たちの誇りであった。
ある時、半ば忘れかけていたタタールの軍勢が突然に再び襲来する。アンドレイ公達は大いに苦戦するが、それは不意を衝かれた為ばかりではない。あの魔王ロットバルトがタタールの軍勢に加勢しているのだ。仮の目には豊かなこの公国が絶好の餌食と映っている。彼の操る幻術は戦場のアンドレイ軍を翻弄し、彼の送り込む内通者は城内を揺るがす。井戸に毒を没げ、流行病を撒き散らし、悪い噂を立てて仲間割れを誘う。そしてあるときアンドレイ公以下全軍が打って出た隙に内通者たちは蜂起し、レオナ公妃はじめ留守を護っていた者たちを皆殺しにする。最愛の妻と娘の死を陣中で聞かされたアンドレイ公は失意の底に沈み、兵士たちの士気も衰え、やがて軍隊は殲滅されてしまう。
ところが実はオデットの身はロットバルトの掌中に入っており、長い旅の末に、その悪の根城『銀の森』までさらわれて来る。この森は足を踏み入れたか最後二度と生きては出られない暗黒の森であると同時に、常にその所在を変えていて誰にもその本当の姿を見せたことのない謎の森でもある。中ではロットバルトの分身たちか地を這い廻ったり怪鳥となって死骸を啄ばんだりしているが、彼らは元はロットバルトに故郷を焼かれた土地の民であり、ロットバルトとその魔法が滅びるまでその惨めな姿であり続ける。
オデットに邪まな恋心を抱くロットバルトは、言いなりになれと幾度も無理強いしたか彼女が断固として靡かめのに怒り、これを不自由な白鳥の姿に変えてしまう。そしてそれからも夜の短い間だけ人間の姿に戻しては、魔力の下に屈服することを脅し迫る事を毎晩繰り返す。
さて白鳥となったオデットは、この森の中には彼女と同じ境遇の白鳥に変えられた姫君が大勢いるという事を知る。群れに加わった彼女はやがて慕われ、先頭に立って旨を率いるようになる。もしロットバルトの邪恋を打ち砕き挫けさせるだけの強さを持った真の愛を築き上げたならば彼女たちは人間の姿に戻ることができるさだめにある。オデットは皆に向かってこのように説き、その愛を共に築くべき男性かいつの日か現われることを信じつつ強く耐えて暮らすように励ます。
より深い苦境に陥るにつれて増していくオデットの美しさを見たロットバルトは、どうにかして彼女を征服したいと尚更強く重み、彼女が信じているような真の愛など、この世無いことを思い知らせようと考える。一度彼女に『真の愛』を誓った者が後にこれを翻すことがあれば、彼女は希望を失って自分の言いなりになるだろう、という算段である。
折しも、女王マリアがジークフリードに譲位し彼がそのまま皇帝として戴冠することが知られる。ロットバルトにとってこの王国は、フリードリッヒの時代以来どうにかして自分のものにしたいと考えている国。先帝が死して後にマリアが見事に継いだので、惜しくも乗っ取りそこねた経緯があり、女王マリアの政道の立派さに舌を巻きつつも、いつの日か隙を見て滅ぼしてみせようと狙っていた。
マリアからジークフリードヘの王権の授受は、たった2日のうちに行われるとは言え一晩の政治の空白を生み、これはロットバルトにとって曾て無い好機。皇太子を欺く事と、オデットに『真の愛』の空しさを思い知らせる事とを、一度に済ます方法を考えついたロットバルトは、二つのものを準備した。
『狂』が付くほど狩り好きの皇太子ジークフリードを森に誘ってやまぬような強く美しい弓。これを退位式の日に皇太子に贈り、白鳥の群れでおびき寄せて『銀の森』に踏み入らせ、オデットを見初めさせるため。その美しさにうたれた皇太子は必ずや愛を誓うであろう。
そして、オデットに瓜二つの姿に変えた姫君の一人オディール。戴冠式の場で新皇帝ジークフリードをしてオデットヘの愛の誓いに背いたところになり、オデットは必ずや『真の愛』に失望するだろう。一万、オディールが皇妃の座に就けばロットバルトはこの王国を内側から蝕むことができるばかりでなく、神聖ローマ帝国(ドイツ)全土に影響力を及ぼすことができる。
果たして皇太子とオデットとが『銀の森』で出会った瞬間に恋に落ちるか否か。華篇を済ませたロットバルトは恰も大きな賭けに臨むかのような心境にあるが、その賭けの結果は思し掛けぬ運命へと続いている。

 

 

 

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